増毛という選択が人生の転機に!父のカツラに影響されて
株式会社スヴェンソン所属。毛髪技能士の資格を有する、髪のプロで構成された編集スタッフ。髪コトを通して、皆さまが抱える髪の悩みや不安、疑問を少しでも解決できるよう、分かりやすく情報を届けていくことを心掛けています。
30歳になる前からカツラを着け始めた男性は、現在63歳。今も医者として活躍している。その活力に、到底60歳を超えているとは思いもしなかった。
「増毛していなかったら、今の人生と違っていたんだろうなぁ」
取材の最後になって、男性が放った一言。なぜそう考えたのだろうか?彼が出したその答えとは…。
薄毛がコンプレックスだった学生時代
わたしが薄毛を意識し始めたのは、20歳の頃だ。その頃からだんだん薄毛が進行しているのを感じていた。
特に風の強い日は嫌だった覚えがある。日光が輝くサンサンとした日も嫌だった。頭皮の薄い部分が透けて見えてしまうからだ。皆で集合写真を撮るときも、前列にいたら、後列の人に頭をのぞかれているのではないかと、気が気でなかった。
医学部時代、友人に「薄くなったねぇ」としみじみ言われて苦笑いした記憶がある。女性関係も含めて、全ての面において消極的になってしまった。完全に薄毛がコンプレックスになっていた。
30歳手前で医学部を卒業し、その大学に残るのではなく、違う病院で働こうと思った。新しい人たちに出会うから、そのタイミングで増毛を考えた。なぜいきなり増毛という考えに行き着いたのかと言うと、父がカツラをしていたからだ。
若ハゲで悩む日々…意を決してカツラの父に相談
父は、わたしが中学生の頃に急に増毛した。それでわたしに「カツラかぶったぞ!」とストレートに宣言した。父の頭が急に変わったことも相まって、すごく鮮明に覚えている。
正直、あまり仲が良いわけではないが、中学時代のことを思い出して、思いきって薄毛のことを相談して「同じようにカツラをつけたい」と言った。すると父は「つけないほうがいい」と反対した。
手入れが手間だし、「自分が考えるほど周囲は気にしていない。だからありのままでいたほうがずっと良い。そのほうがずっと楽だ」と言われた。
しかし、20代で薄毛になると、ものすごく悩み考えてしまうものだ。「父さんの主張は理解できるけど、わたしはわたしで毎日とても悩んでいる。だからちょっとだけカツラにトライしてみたい」と頼み込んだ。育毛剤やAGA治療という選択は全く考えなかった。
父のカツラは、町の床屋製のものだった!?
父は、自分のカツラを作っている店にわたしを連れて行ってくれた。そして驚いた。大企業のカツラメーカーではなく、どこにでもある町の床屋だったのだ!
ただ、他と少し違うのは、一般の人が髪を切る場所の奥に、人目を避けるようなプライベート空間があったことだ。おそらく、わたしのような薄毛で悩む人のためのスペースだったのだろう。そこの店長がオーダーメイドでカツラを制作していた。
カツラ作りを相談しに行ったとき、そこの店長も自身のカツラをとって見せてくれた。それにもまた驚かされた。
店長は、ラップで頭の型取りを行い、カツラの生地を作った。それからわたしの頭髪に両面テープのようなもので接着した。その後に関わったカツラメーカーに近い方法でカツラを作っていた。あのテクニックはどこで学んだのか、今でも分からない。思い出すと、気になってしょうがない。
増毛したことによる人生への影響
その理容室のカツラはおよそ15年利用した。増毛したからか患者の目も強風も気にならなくなった。
人前に出るのが恥ずかしくないし、頭髪を気にせず、積極的に前に出ていけるのが嬉しい。もしカツラをつけなかったら、患者さんの視線が上に行くと「わたしの髪を見ている!」とネガティブに考えただろう。一種の被害者意識のようなものだ。
頭を気にしてとどまるか、前に踏み出るか。増毛は前に出る勇気をくれた。自分の人生に多大な影響を与えた。
結婚も、カツラをつけた後だ。29歳のときに今の家内と出会い、30歳で結婚した。カツラのことを打ち明けたのは結婚後だったが、よくよく話を聞くと、家内も勘づいていたらしい。
45歳になってからは、別のメーカーのカツラを使い続けている。カツラを替えたきっかけは、本屋で立ち読みしているときにたまたま見つけた『カツラーの秘密』という本だ。その中で著者が、とあるメーカーのカツラの良さを謳っていて惹かれた。
思い切って問い合わせをし、まずはお試しでやってみようと思った。この本との出会いがなかったら、メーカーを切り替えなかったかもしれない。
「髪あって良いな」と言われる今、薄毛で悩んだ過去を振り返って
結論から言うと、切り替えて正解だった。今までのカツラはテープで着けるもので、ズレることがよくあって心配することが多かった。しかし、今のメーカーは地毛とカツラを編み込むもので、ズレる・取れるといったような不安がない。高校の同級生に会ったとき、「地毛なの?」と指摘されて「地毛だよ」としれっと言えるくらいしっかりした作りだ。
ただし、今通っているテニスサークルの仲間には打ち明けた。「髪あっていいなぁ」「俺もやりたいよ」なんて反応だった。
将来、体が元気なら、内科医の仕事は70歳過ぎまで続けたい。それまでは今のこの地毛を活かしたカツラをつけると思う。退職する時期には、カツラも卒業するのかもしれない。
ただ、増毛をしていなかったら、今の人生と違っていただろうなと、過去を振り返ってそう思う。テニススクールに行く気にもなっていなかっただろう。髪のあるなしで、良くも悪くも人生は左右されるものだ。
薄毛で悩み、一度きりの人生を自分で狭めてしまうのはもったいない。
増毛という選択が、人生の転機にもなることなのだと、声を大にして言いたい。
この物語に出てくる「編み込み式の増髪」はスヴェンソン。スヴェンソンは、髪型を変えるように髪を増やすことが自然な選択肢になってほしいと考えています。「増髪(ぞうはつ)」というコンセプトのもと、髪を増やすことは男磨きのひとつとして、様々なサービスを提供しています。
詳細は以下リンクからご覧ください。まずは気軽に無料体験!納得してから始められます。
公開日:2020/03/28