【日体大/藤本珠輝】僕が走り続ける理由 #9 ~ラストイヤー01~

月刊誌、WEBサイトの編集を経てフリーランスとして活動。スポーツを中心に教育関連や企業PRなどの制作・運営に携わっています。屋外の取材が多く、髪の日焼けやパサつきが気になりつつも「髪コト」に参加するようになって、日々のケア方法などを実践するように。最近はヘッドスパにハマる中、みんなの人生を豊かにするよう記事づくりをしていけたらと思います。

【日体大/藤本珠輝】僕が走り続ける理由 #9 ~ラストイヤー01~

「痛みが悪化することはなかったんですけど、あまりにも痛みの強さが変わらなかった。日が経つに連れて、どんどん気分も落ち込んでいて……正直なところ、(競技に対する)気持ちがほとんどなく、やる気も失いかけていた状態でした」

それは、喜びもつかの間の出来事だった。
「日常生活でも痛みを感じる」ほど、右足が悲鳴をあげていた。

「1カ月程度のケガは多いほう」と話す彼にとって、走れない期間が3カ月に入ろうとしていたころに訪れた心境。

「無理矢理、気持ちをつないでいた」
焦りや苛立ち、苦しさとも言えない思いが広がって、それ以上の言葉が出てこなかった。

「本当にもう…チームに悪影響しか与えられないと思いました。それがチームを離れた1番の理由なんです」

「一体感を持ち味」とする日本体育大学陸上部駅伝ブロックで過ごす4年目の夏。
藤本珠輝は一人、チームから離れて秋の本格的な駅伝シーズンを迎えようとしていた。

勝つためのレース。自己ベストが出せれば100点だった

2022年1月。第98回東京箱根間往復大学駅伝競走を17位で終えた日体大は、1月11日に新たなスタートを切っていた。ここまでエースとして走り続けてきた藤本も最上級生。文字通り“学生最後の1年”を過ごす。

コロナ禍にあって体育大学ならではの「トランポリンやキャンプの実習ができなかったのは残念」だと語りながらも学業の単位取得は順調で、「身体のケアなど自分に費やせる時間が増え、より競技に専念できる」ようにもなっていた。

そんな2022年の前半で目標としていたのは「4月の学生個人選手権(日本学生陸上競技個人選手権)。そこで標準タイムをきりつつ、延期となっていたユニバースティーゲームズの日本代表となること」だった。

走り込みを行う冬場は一日にトータルで40キロ近くを走る。加えて今年の箱根駅伝で実感したという「太ももなどの筋力強化」を重点的に強化する中で、タイムを出すこと以上に勝つことにこだわって練習に取り組んだ。

日本体育大学・藤本珠輝選手の練習風景

桜が芽吹くころには「合宿などでもしっかりと走れた」手応えがあったが、暗雲が立ち込めはじめたのは、それからすぐのことだった。

大会直前で体調を崩したり、故障に悩まされたりすることもあり「最後の最後でつめが甘かったという感じ」だったと、藤本は当時を振り返る。「想定していたことの全てがうまくいったわけではなかった」と言うように学生個人選手権では5000mに出場して5位。目標としていたユニバースティーゲームズの代表権獲得には及ばない成績だった。

ランナーの足元

それでも5月の第101回関東学生対校選手権大会(関東インカレ)では躍動する。

関東インカレは、陸上競技に携わる関東の大学生たちがトラック競技や長距離など、様々な種目で関東一を争う大学対抗戦。実力者も顔をそろえる春−夏シーズンではトップレベルの大会だ。

しかも、今年の舞台は国立競技場。2019年以来の有観客での実施だった。

「力のある選手は5000mや10000mなどのトラック競技で関東インカレは勝負をするんです。でも今年は体調を崩したこともあって、(ポイントを取れそうな)ハーフマラソンに出場しました」

箱根駅伝を走る有力ランナーたちはスピード勝負となる5000mと10000mにエントリーをすることが多い。昨年、藤本も2つのレースを走って入賞を果たしていた。しかし、今年は、体調不良やケガの影響もあり直前まで実家に帰省しなければならず「一人で調整をしていた」。

決して万全な状態ではなかったため「タイムは度外視」。でも「勝つためのレース展開を考え、実行しました」と藤本が話すように、スタートから一気にギアを上げて集団のトップに出るレース展開に持ち込んだ。

「序盤からしっかり攻めて周りを引き離す」という気持ちが現れた力走。一人で調整していたことも後押しして「集団で走るのではなく、先頭で引っ張っても特に疲れることがなかった」という快走を見せる。

「すごく理想的なレースができたと思います」
5キロの段階で「優勝」の二文字が頭をよぎった。

じわじわと後続を引き離し、国立競技場のゲートに戻ってきた時は完全に単独で、左手を突き上げ、右手を突き上げた。

「国立競技場に戻るコースの最後。トンネルを通るんですけど、それを抜けた瞬間に大きな国立競技場が目の前にいっぱいに広がって。すごい歓声も聞こえてきたんです。あの景色は、今でも焼きついていますし、忘れられないですね」

国立競技場イメージ画像

1時間02分20秒。

トップでゴールした藤本は大会記録を更新。翌日の報道を賑わす好結果だった。

それでも、「自分からレースをつくりにいって、大差で勝てたので力がついたと感じました。今後にもしっかりつながると思いましたけど、自分の中では90点ぐらい」

足りない10点は「度外視していたタイム」への思い。

「自己ベストが出せれば100点」と苦笑いをしながら、自分へのさらなる期待と大きな手応えが、このレースで残ったはずだった……

一度、ここから離れよう

異変が起きたのは、それから「1週間〜10日後」だった。

「右足に痛みがありました。ただ、痛みの強さがそこまで強くなかったので、正直、1カ月くらいで戻れるだろうと楽観的に思っていたのですが……」

激痛などもなく当初は様子を見ていたそうだが、時間が経っても「あまりにも痛みの強さが変わらない」状況に、再び検査を受けた。しかし、結果は思わしいものではなく、ケガが治るには長い時間が必要だと判明した。

「関東インカレのときは、すでにケガをしていたんだと思います。レース中に痛みが出ることはありませんでしたが、カーブがきついコースだったので、足の一部に負担がかかってしまったのかな」

まばゆい光の裏に、暗い影が落ちる。

日によっては日常生活でも痛みを感じることがあるほどで、練習はおろか走ることができなくなっていた。6月中旬に予定されていた全日本大学駅伝の関東予選も出場断念を余儀なくされ、気分は、どんどん落ち込んでいく。

日本体育大学・藤本珠輝選手の手

さらに、追い打ちをかけたのがエースという立ち位置だった。
エースの状態は、当然、チームに影響を与えてしまう。

全日本大学駅伝の本戦出場を逃すなど、良い結果が出せない当時のチーム状況を藤本は、ストレートに「いいものではなかった」と口にするほど、日体大は雰囲気も調子も低迷する状態に陥った。

「それこそ1月から4月ぐらいにかけてはいい走りができていましたし、いい空気つくりができたのかなと思うんです。でも故障して走れなくなった期間に、自分の存在がプラスどころかマイナスになった。全日本の予選も、本当に申し訳ないという気持ちです。もちろんチームとしてタイムが出せなかったこともありますけど、自分がしっかり練習に取り組めて、関東インカレの状態をキープしていたのであれば、チームの雰囲気も変わっていたと思います。その意味でも悪い影響になってしまったと思いました」

エースゆえの苦悩が、そこにはあった。
加えて最上級生としての立場も重なる。
「4年生がチームに与える雰囲気や影響は大きいと改めて感じました。4年生がしっかりしないとチームもまとまらない。それをすごく実感して……

藤本自身、これまで過ごしてきた「1〜3年生の間で、ここまで落ち込んだことはなかった」と感じるくらいチームは進むべき方向を見失いかけていた。

1年生のときからエース格として、様々な想いを託されてきた藤本にとってのラストイヤー。
チームは、エースとして「走ることに集中できる」環境を用意してくれていた。

だからこそ自身も、その想いに応えるように「走る姿でチームを引っ張る」と決めていた。
でも、走れない自分はできることが何もない。いつの間にか、そんな風に追い詰めていた。

日本体育大学・藤本珠輝選手の首元

「もう何もできないのかと、もどかしい気持ちでしたし、走っていない自分が言葉で何かを言うのもおかしいかなって。チームに関わることはできなかったです」と、その思いを素直に口にする。

「正直、気持ちがほとんどなくなりかけて、やる気も、もうなくなっていた感じもあって……」

焦りや苛立ち、苦しさとも言えない思いが藤本の中に広がって、それ以上の言葉が見つからない。

そして、決断を下す。
「チームに悪影響しか与えられない。一旦、ここから離れよう」

2022年、夏。

本格的な駅伝シーズンを迎える秋を前に、藤本は一人、チームから離れた。

【過去の取材記事はコチラから】

僕が、走り続ける理由 #1

僕が、走り続ける理由 #2

僕が、走り続ける理由 #3

僕が、走り続ける理由 #4

僕が、走り続ける理由 #5

僕が、走り続ける理由 #6

僕が、走り続ける理由 #7

僕が、走り続ける理由 #8

Presented by SVENSON

 

公開日:2022/12/22

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