【日体大/藤本珠輝】僕が、走り続ける理由 #3 ~箱根への道、2年目の苦悩~
月刊誌、WEBサイトの編集を経てフリーランスとして活動。スポーツを中心に教育関連や企業PRなどの制作・運営に携わっています。屋外の取材が多く、髪の日焼けやパサつきが気になりつつも「髪コト」に参加するようになって、日々のケア方法などを実践するように。最近はヘッドスパにハマる中、みんなの人生を豊かにするよう記事づくりをしていけたらと思います。
「この思いを忘れるな」
日本体育大学陸上競技部駅伝ブロック合宿所の食堂に、掲げられた2本のタスキ。
2012年1月。つなげなかったあのときを忘れないように、これを繰り返さないように、悔しさと隣合わせの毎日を、彼らはずっと過ごしてきた。
それでも――。
2020年1月。再び、タスキは途切れてしまう。
「第96回大会の箱根駅伝でタスキが途切れてしまったことは大きい。こんな嫌な思いをしないように、きちんと結果を出せるように、今、チームには一体感があります。だから…」
駅伝ブロック2年・藤本珠輝は、来る第97回東京箱根間往復大学駅伝競走=箱根駅伝への思いを、そんなふうに口にした。
「箱根の雰囲気は普通のレースと全く違います。何の知識もないまま箱根を走ると精神的にも押しつぶされそうになる。なので、前回大会で自分が経験したことは、チームのみんなにきちんと伝えているんです」
2020年1月に行われた箱根駅伝で、日体大は総合17位。最終10区の直前でタスキも途切れ、惨敗と言える結果だった。5区を走った藤本もまた、区間16位。自身が持つ本来の走りを見せることなく、箱根路を去った。
その心境は、悔しいでも、悲しいでも、辛いでもなく、ただ、ただ「無」だったと言うから、箱根駅伝の偉大さと恐ろしさを知る。でも、だからこそ、心に秘めた決意がある。
「また箱根を走ることができたなら、今度こそ、しっかりチームに貢献する走りをしたい。それはずっと思っているんです」
それに、揺るがない想いも抱いている。
「箱根駅伝は最も有名な駅伝レース。箱根を見て長距離を始める人も多いんです。そういう人が増えてくれたらうれしいし、見ている人に元気を与える走りをしたい。それに…やっぱり、自分と同じ脱毛症で苦しんでいる多くの人に、僕の走りで勇気を与えたいんです」
白いハチマキにウイッグ姿は、藤本珠輝のトレードマーク。
自分が快走すればチームの押し上げにつながっていく。そして、注目されれば、脱毛症のことも広まっていく。だからこそ「まずはメンバーにしっかりと入らないと」と強めた口調に、もうすぐやってくる自身2度目の箱根駅伝を走り抜ける覚悟が、彼にはできていることを感じさせた。
笑顔なき日体大の予選会
2020年10月17日。陸上自衛隊立川駐屯地で行われた第97回箱根駅伝予選会。例年とは全く異なり、観客も声援もない、静かなレース。
淡々と、薄暗い空から雨粒が落ちる。
レースに挑む藤本は「周回コースになりましたが、雨で涼しく、いい影響があると感じていました」と、その状況もポジティブにとらえていた。
箱根駅伝の予選会は駅伝ではなくチーム戦。個々に走った上位10名の記録が最終的にチーム結果として反映されるが、その舞台裏にある戦略を、藤本は少しだけ明かしてくれた。
「予選会は集団走をするので、絶対にそこから離れないということは話していました。その上で2人のエースがフリーで走ってタイムを稼ぐ。そういうプランです」
日体大の2人のエース。
一人は、絶対的存在で4年生の池田耀平。そして、もう一人が、2年生の藤本本人だ。
「期待されていることは自覚しています。その上で期待に応えるのがエースだと高校時代の監督にも言われてきました。だからこそ、今回も耀平さんと2人でタイムでもしっかりとチームを引っ張っていかないといけないと話していたんです」
エースの走りは、チームに伝播する。もちろん結果も左右する。ゆえに、エースと呼ばれるのだ。そこにチームの願いも希望も、想いも託される。
箱根駅伝予選会で、池田は第1集団に食らいつき、全体7位フィニッシュ。チーム内で最も先にゴールテープを切った。その一方で、藤本は全体で22位。チーム内で2番目に走り終えた。
もともと「第2集団で走ることは頭に入れていた」と話すが、「終わってみたら上のグループで走らなければならないと痛感する結果でした。だから悔しい。単純に、自分の力が足りなかったですし、後半に粘る力が足りていないんです」とも口にした。
藤本が、レース前に考えていたのは「チームトップ通過」。それが必然と「チームの順位も押し上げる」ことになり、自分の自信も深まっていく。だが、その思いとは裏腹に、箱根への道のりは、甘くはなかった。
チームは総合6位で予選会を通過したものの、そこには、笑顔なき日体大の姿があった。
全員が整列して一礼をする。「大会を開催してくれたことへの感謝の気持ち」だけを表したが、喜びを爆発させる他のチームの笑顔とは一転、個々の表情は固いまま。
そのことについて藤本に問うと「玉城(良二)監督からも『こんなところで喜んでいる場合じゃないぞ』と言われていました」と教えてくれた。そして、言葉を続ける。
「チームとしてもトップ通過を目標にしていたので、納得のいかない走りになったと思います。通過はできましたけど喜びはないですね」
そう強く言い切ってなお「安心はしたけど、喜びはない」と、もう一度、繰り返した。
絶対的エースから受け取ったタスキ。受け継ぐ思い
それから2週間後。日体大は全日本大学駅伝に挑んでいた。藤本も、今年は3区を走る。
初めての伊勢路を走り終えた実感は、予選会と変わらない。
「正直、全くいいところがありませんでした。最低20秒速く走れないと話にならないなという感じです」
失意のレースになった理由は、おそらくタイムだけではないだろう。3区の藤本は、2区を走った池田から、タスキを受け継いでいたのである。
「駅伝は、気持ちが伝わるスポーツなんです」。
その言葉が頭をよぎる。
藤本にとって、池田は「大きな存在」だ。
「常に上を見て、高い意識を持っている耀平さんが近くにいることで、自分自身の意識も高まっていきます。本当に大きな存在。でも、それなのに僕に対して「絶対に負けない」って言ってくれたことがありました。自分のことを意識してもらっていることがうれしかった」
絶対的エースのその一言は、2年生エースの心に火をつけた。
それこそ、卒業していく4年生が、次代を担う2年生に託した思いでもある。
そしてそれは、全日本大学駅伝で受け取ったタスキからも伝わってきた。
2区を走った池田は区間3位で、チームの順位も17位から6位にまで押し上げた、文字通り“エースの走り”。
しかし、藤本は区間12位。チームの順位を9位に下げてしまう形になった。終わってみれば、総合12位。池田の力走をつなぐことができず、悔しさと焦りが心に広がった。
50日間の夏合宿で手にした自信と、それを失った2回のレース
箱根駅伝予選会6位。全日本大学駅伝12位。
2020年11月時点で、日体大が残した2つの戦績。
結果だけを見れば「納得のいかない走り」だったこともうなずけるが、それ以上に「自信を持って臨みましたが、いざ蓋を開けてみると他大学との力の差を大きく実感した」と藤本は言う。
コロナ禍に揺れた2020シーズン。日体大は、玉城新監督のもとで7月を過ぎてから本格的なスタートを切っていた。箱根駅伝の予選会まで、たった3カ月。「練習が明確になり、練習内容も大きく変わった」という指導の中で、駅伝の名将が選手たちに求めたものは、ハーフマラソンを走り切れる走力だった。
21.0975キロのハーフマラソン。それは箱根駅伝予選会で走る距離だ。はっきりと照準を合わせて走り込む日々に、藤本もチームも確かな手応えを感じていった。
「50日間の夏合宿も完全に走り込みでした。例年行っている富士見高原でスタートして、場所を変えながら、アップダウンや平地、高地でのトレーニング。1日30〜40キロくらいを走って、1ヶ月で1,000キロを超える走行距離だったと思います。本当にしんどかった」と、当時を思い出して苦笑いを浮かべたが、手応えは、いつしか確信に変わっていた。
「はじめて30キロを走ったときは全然終わりが見えなくて苦しかったんですけど、徐々に慣れてくるものなんですよね。最初は少しずつペースアップして1時間50分前後で走り切っていたのが、合宿の後半になるとアップダウンがあるコースでも1時間45分くらいになるんです。この5分はすごく大きくて…最後まで力を出し切ることが大事ですし、ゆとりを持って走れるようになっていきます。改めて、積み重ねの競技だと実感しましたし、50日間を走り終えたときには達成感もありました。かなり自信を持って帰ってきたんです」
だからこそ、箱根の予選会で、チームが定めた目標はトップ通過。当然、それを達成できる手応えもあった。それでも、待っていたのは厳しい現実。藤本が肩を落とす。
「今年は新型コロナウイルス感染症の影響でレースがほとんどありませんでした。そうした状況の中、合宿で走ったという実感だけで、自分の中で納得してしまっていたのかな…いざ、レースに出てみると他大学との力の差を大きく実感する結果になりましたし、個人的にも1年生にも負けてしまって…」
うつむいた視線の先に、昨年の自分が思い浮かぶ。「昨年の僕がそうだったから」と付け加えて、藤本は続けた。
「1年生はこわいものを知らないので、どんどん攻めて、最後まで押し切ることができる。その攻める気持ちが走力以上に負けている部分なのかなと感じたんです」
確かに、昨年の藤本は1年生ながら箱根駅伝予選会をチームトップ通過。本戦でも山登りの5区を走った。その結果と経験があるからこそ、今、チームの2大エースと呼ばれているのだが、それも自身を苦しめる要因になっていた。
「今年は学年が上がって、絶対に結果を残さないといけないという責任も出ています。それもあって、慎重になっていたのかなって思うんです。昨年は、みんなについていくだけで良かったのが、今は、入学も入所も遅れている1年生のサポートをしてあげないといけない立場。その中で、自分のこともやらないといけません。そのあたりが難しいし、正解がわからないので悩んでしまう。2年生になれば、もう少し楽になるかなと思っていたんですけど…」
4年間の中間地点に立ってはじめて対峙する立場と責任。そしてエースの重圧。監督からも「考えすぎるなよ」と言われるまっすぐで実直な一面が、藤本自身を縛っているように見えた。
加えて、大きな自信を手にしていたからこそ、思うような結果を得られない状況に「正直どうしたらいいかわからないんです。本当にこのままでいいのか。もう一度勝負できるのか…」と、不安に苛まれる日々が続いている。
2020年秋。箱根駅伝まで、あと2ヶ月強と迫った時期に、日体大駅伝ブロック2年生の藤本珠輝は、まさに、苦悩の中にいた。
自分の弱さを知った先に待っているもの
それでも、2度目の箱根は、もうすぐやってくる。
玉城監督は声をかけた。
「もう少しゆとりを持ってみろ」
池田は、想いをタスキに託した。
「お前には負けない」。だから、お前も自分に負けるな。
2つのレースで得たものは、結果の出ない悔しさと不安。そして苦悩だったのは間違いない。
ただ、同時に見つけたものもある。
「自分の弱さを痛感したのは、良い収穫でした」
まだ、箱根駅伝までの時間は残されている。
自分の弱さを乗り越える時間も、そこにはある。
「ここから、いきなり力が出ることはないですけど、今持っている力を発揮すれば、全日本大学駅伝で感じた“最低20秒”を取り返せる。どうしたら自分の100%を出せるかを模索しながら、箱根に向けて走っていきたい――」
『箱根駅伝まで、あと56日』
色とりどりのシューズが並ぶ下駄箱で、目に飛び込んでくるホワイトボード。
描かれた文字は力強く、決戦の日をカウントしていた。
ふと視線を上げれば、2本のタスキが目に映る。
2012年、日体大陸上部駅伝ブロック史上、初めて途切れた悔しさのタスキ。
でもそれは、栄光への始まりのタスキでもある。
2012年、第88回箱根駅伝。日本体育大学19位。
2013年、第89回箱根駅伝。日本体育大学1位。
自分たちの弱さに直面し、それを乗り越えた日体大は、途切れたタスキをもう一度つないで翌年の箱根路を誰よりも早く駆け抜けた。
その魂は、藤本珠輝にも受け継がれている。
2020年11月15日。日体大で行われた第281回日本体育大学長距離競技会で、5,000メートルを走った藤本は日本選手権A標準を突破する13’36″39を記録した。それまで持っていた記録は13’54″21。
約20秒を上回る自己ベスト更新だった。
【過去の取材記事はコチラから】
公開日:2020/12/15